出井洋一郎先生の著書『「農民画家」ミレーの真実』(NHK出版新書)をやっと読みました。
ミレーは美術史の中で燦然と輝く巨匠のひとり…大学に入るまではそう思っていました。ところが、西洋美術史の先生は授業の中で「ミレーはバルビゾン派の画家の一人です」とさらっと紹介したのみ。仏文学の先生に至っては「フランス人はミレーをあまり知らないんですよ。日本人は好きですよねぇ。白樺派あたりの人が好んで、それが続いているんでしょうね。」「ええ、フランス人はミレーが嫌いというより、そもそも知られていない。専門家以外には非常に知名度の低い画家なんです。」とまでおっしゃるのです。
小学校の時に、担任の先生がミレーの《落ち穂拾い》を熱心に解説して下さったのをよく覚えています。「農民が収穫を終えた畑で落ちた麦の穂を拾っています。この人達はわずかな落ち穂を拾わなければ飢えてしまうほど貧しいのです。一生懸命生きている姿は美しいですね。そしてこの人達のようにわずかな食糧も無駄にしてはいけません。大切なことを教えてくれる絵ですね。」と。芸術というより道徳的な観点からの話でした。
私は幼い頃から美術館や展覧会へ親に連れられてよく行きましたが、ミレーの絵画は人気が高く、大人たちがうっとりするように絵に見入っていたのをよく覚えています。他の絵の前を通りすぎても、ミレーの作品の前では立ち止まり、皆じっくり見るのです。
確かに日本人には愛されているミレーですが、大学でのアカデミックな美術教育ではほとんど顧みられることがないという落差に違和感を覚えたものです。その理由は日本でのミレーの受容プロセスにあることが、この本の第三章で明かされています。日本ではミレーが誤って解釈されーー誤ってというよりでっち上げに近いのですが、ミレー神話と呼ぶべきものが形成され、「清貧の農民画家ミレー」という虚像が作り上げられました。
西洋美術史は今も昔もフランス中心で、西洋美術史の大きな流れの中でミレーはバルビゾン派の重鎮の一人とという程度の認識ですから、教授が当時そのような授業を行ったのは当たり前といえは当たり前のことでした。
アメリカではミレーの生前から大変人気が高く、現在も熱心に研究が続けられています。日本でも著者の出井先生をはじめとして、地道な研究がなされています。こうした潮流がフランスにおけるミレー評価に一石を投じることになるかもしれません。